シドニー北部(Northen Sydney)
06年12月8日-07年3月21日
最悪のホステル
シドニー1泊目は、シドニー北部のコラロイ(Collaroy)ビーチにあるシドニービーチハウスYHAというところに泊まったのですが、ここは、まさに、無法地帯(Out of control)でした。
キッチンに食器は無く、夜は遅くまでうるさく、食料を盗まれ、更に、同室のおじさんが、「暴れん坊」でした。
2段ベットの下がおじさん、上が僕だったのですが、僕が寝返りを打つと「ベットが揺れるから動くな!」と、怒モードに、なっちゃう人でした。
こんなところに泊まってられるかっと思い、翌日、同じくシドニー北部ビーチであるアバロン(AVALON)に移動しました。
最高のホステル
アバロンは、バイロンベイに似たのんびりムードのちょっとした街でした。
ア バ ロ ン ← 素 晴 ら し い サ ー フ ビ ー チ
アバロンビーチホステル(AVALON BEACH HOSTEL)に宿泊。
決して綺麗な場所ではないです。インドや中国の安宿を彷彿させます。
しかし、泊まってみてここは、なかなか素晴らしい場所であることがわかりました。
泊まっている人の6割から7割がサーファー、もしくは、ボディボーダーなのです。
ボード専用ラック、ウエットスーツ用ラックも備わっています。
リビングには、サーフ雑誌が積まれ、夜は、皆でサーフDVDを見ます。「今日、波どうよ?」が、皆の挨拶です。
皆、お金が無く、ウイークデイは、働いている人が多いので、週末の朝、早起きして、皆で、海に向かいます。
(波チェックをする役目の人が毎回、朝5時にチェック済)ビーチまで徒歩3分。
皆で海に向かい、パドルアウトし、ラインナップに並び、良い波が来た人から順番に波乗りします。
というように、サーフキャンプっぽい雰囲気になっています。「部活」っぽい感じ。
皆、真剣にレベルアップを目指しているので、刺激になります。
ア バ ロ ン ビ ー チ ホ ス テ ル
初仕事〜ヨットのペインティング
そして、このHostelの更に素晴らしいところは、テンポラリーの仕事を紹介してくれるということです。
仕事をしたい人は、仕事をしたい人リストに自分の名前を書きます。そして、毎日7時に、抽選会が行われ、優先順位の高い人から、仕事を選んでいくという仕組みです。
僕は、その仕組みを知らずに、7時を過ぎてからレセプションに行き、「明日仕事ある?」って聞いたところ、誰もが選ばなかった仕事である「ヨットのペインティング」が残ってました。「応募条件:ストロングマン 求む」ってところが気になりましたが、とにかく、仕事をしてみたかったので、翌日から働き始めました。
朝、7:30から仕事なので、6:00に起き、お弁当を作り、車で出勤です。地図を見ながら迷いつつもなんとか時間ギリギリに到着。
屋外の広場っぽいところに、25mぐらいのヨットが、どーんと置かれ、周りに足場が組まれていました。
僕の仕事内容は、実際は、ヨットのペインティングの前の、サンディング(Sanding)の作業でした。
ヨ ッ ト ← ど ー ん と で か い
ヨットの外装のペンキは、1回塗ったら終わりではなく、何層も何層も塗るものなのです。
1回ペンキを塗り、乾燥させたら、サンドペーパーで、スクラッチし、上層の無駄な部分を削り取ってから、また、ペンキを塗る。
という作業が、何度も何度も繰り返されます。
サンドペーパーが貼られた1メートルぐらいの板を手に持ち、ひたすら、ヨットの外装を「削って削って削りまくれ!」という単純ですが過酷な作業なのです。
屋外の作業なので、強烈な太陽の日差し(オーストラリアの紫外線は日本の7倍!)を浴びながらの作業です。
麦藁帽子をかぶり、サングラスをしての作業。水分補給をこまめに実施しないと危ない!
サ ン デ ィ ン グ 作 業 は か な り 暑 い !
前回、この仕事をしたドイツ人は、2日で辞めたということでした。「ストロングマン 求む」の求人の意味がよくわかりました。
それでも、日本人的な繊細さと真面目さを見せつつ、かつ、気合気合!でスクラッチをした結果、
「完璧じゃん」と褒められ、数日後には、ヨットの内装を担当したり、グラインダーを使っての作業を任せられたりしました。
ヨ ッ ト の 後 ろ ← グ ラ イ ン ダ ー で 削 り ま し た
はじめは、とりあえず3日は頑張ろうと思ってはじめた仕事でしたが、結局、その後3月までフルに仕事をしました。
1200ドル稼ぎました。(≒オーストラリア滞在費1ヶ月分位)
働いている人は、皆、親切+面倒見の良い人たちで、僕の作業とは関係ないヨットの構造について説明してくれたり、自宅でのパーティーに招待してくれたり、
ビールを奢ってくれたり(午後4時に仕事が終わり、大体、皆でビールを飲むのです)、波乗りの技術に関して教えてくれたり、とても有難かったです。
「世界ウルルン的」な体験でした。
最終日は、半日で仕事が終わりです。帰り道は、真面目にハードワークしていたので、その分、
オージーたちが感じているであろう「ウキウキ・クリスマスムード」の解放感・充実感を僕も感じることができました。
ヨ ッ ト の 仕 事 の 仲 間 た ち
ウキウキクリスマスパーティー
イブが盛り上がる日本とは異なり、オーストラリアでは、25日が盛り上がるっぽいです。
25日の夜に、家族そろって、お食事をするのが、この国の古き良き基本的な伝統らしいです。
南半球オーストラリアのクリスマスは、真夏であり、サンタクロースが波乗りしているイメージがありますが、実際のところ、シドニーでは、おもいっきり真夏!って、感じではないです。
太陽が出ていなければ、日本の10月ぐらいの気温ではないかと思いました。つまり結構寒かった。
太陽が出ていれば、めちゃ「暑い」というか、「痛い」です。日差しが。海の水はまだ冷たいので、晴れていても海パンで海に入ることはできませんでした。
ウエットスーツ(長袖・長ズボンのフルスーツ)が必要です。オージーたちは、子供から、おじいさんまで、皆、元気一杯に、海パンで泳いでますけどね。
25日の夜、僕が泊まっているホステルでも、クリスマスパーティーが企画されました。
10ドルで食べ放題。アルコールは、オーストラリア式にBYO方式です。(Bring Your Own)飲みたい人は、自分で持ってきて飲んでねというシステムです。
ウ キ ウ キ パ ー テ ィ ー
僕は、2週間続けたハードワークが、ちょうどクリスマス休暇になったということもあり、解放的な気分になって、たくさんお酒を飲みました。
そして、酔っ払ってバルコニーで寝てしまいました。メリー・クリスマス(Merry Christmas)
酔 っ 払 っ て 寝 る
革命その1
アルメリック革命。
友達のアルメリックというブランドのサーフボードを、軽い気持ちで借りて乗ってみました。
革命でした!
自分のボードとの違いに、驚きました。
テイクオフ中(特に、テイクオフ後半)に、誰か後ろにいて、板を押してくれてるんじゃないの?
と、錯覚するぐらい、板がスムーズに走ります。よって、今まで乗れなかったような厚く、トロい波も簡単に拾えちゃいました。
正直、今までの板は何だったの?!と思うぐらいの衝撃でした。
今が人生の中で、最もサーフィンが上達すべき時期であることを考えると、買うしかない!働くしかない!
革命その2
友達のスケボーを借りて乗ってみました。
で、デジカメのムービーで撮ってもらいました。
革命でした!
上半身の動きが固いということがわかりました。
スケボーでやわらかい動きを練習すれば、サーフィン中の動きもやわらかくなる可能性があります。
翌日「セクター9」というスケボーを購入。相当、調子良いです。
シドニー大みそか花火大会
有名なシドニーの花火。
世界3大美港であるシドニーハーバーのオペラハウスとハーバーブリッジをバックに、壮大かつ華麗なスペクタクルショーのはじまりです。
しかし、僕が到着したころには、シドニー中心部は、既に、「年末のアメ横」の如く、これでもかというくらいの人・人・人で溢れかえってました。
それ以上の人の流入を避けるために、オペラハウス、ハーバーブリッジに続く道には、バリケードが組まれ、当局によって、完全に封鎖されていました。
「行き場を失った市民は、怒りを爆発させ、道のタイルを引き剥がし、警官に向かって投石しはじめ、中には、どこで用意したのか火炎瓶を投げ始める者も表れました。それに対し、州警察と軍が、催涙ガスと、実弾で応酬し、血だらけになった人々の阿鼻叫喚が響き渡るぅぅ!」!!といった非常事態は、全く起きていませんでしたが、本当にどうなっちゃってるのというくらい凄い人ごみで、実際、ちょっとハリウッド的パニック映画の1シーンっぽい感じではありました。
基本的には、警官と記念写真を撮る人がいたり、HappyNewYearと声をかけあう人がいたりして、平和ムードで、みんなで新年を祝おうよって雰囲気です。
結局、僕は、オペラハウスもハーバーブリッジも視野に入らない、ボタニックガーデン後方のビルの陰という、相当に「渋い場所」から見ることに。
わーわーあがる歓声を聞きながら、きっと凄いんだろうなと想像で楽しみました。
サーフボードを作ってみよう
もともとの計画では、ヨットの仕事は、年末の2週間で終了し、年が開けたら、シドニーから離れ、更に南下を続ける予定でした。
しかし、実際は、年が明けても、未だ、シドニーに留まり、仕事を続けました。(1月9日から仕事を開始しました)
仕事を続けている理由は、仕事の後に、サーフボードの作り方(How to shape)を教われるからです。
趣味でサーフボードをシェイプする人が職場にいて、彼から教えてもらえることになったのです。
たぶん1本目は、上手く出来ないとは思いますが、やり方を覚えて、日本に帰国してからも、工具と材料を揃え、作業場所をなんとか確保し、あたらしい趣味として、続けていきたいと思っています。
まずは、ショートボードの一般的な形状であるトライフィンから初め、慣れてきたら、ツインフィンやロングボードも作成したいと思います。
自分のボードを自分でシェイプするというのは、とても素晴らしいことです。
板についていろいろ考えるということは、サーフィンの動きの勉強にもなるのです。
ブ ラ ン ク ス と い う 素 材 か ら 板 を つ く り ま す
表 面 を 削 り ま す
レ ー ル を 削 り ま す
ス プ レ ー ( 色 ) を つ け る 準 備 ( 裏 面 )
表 面 も 新 聞 と マ ス キ ン グ テ ー プ で 準 備
表 は オ ー ス ト ラ リ ア 国 旗 風
裏 は 黄 色 と 緑 の オ ー ジ ー カ ラ ー と 動 物
ス プ レ ー ( 裏 面 ) の イ ル カ
工 場 で フ ァ イ バ ー グ ラ ス を ま き ま す
フ ァ イ バ ー グ ラ ス を レ ジ ン で 固 め ま す
完 成 !
オーストラリア永住権を取得しよう
「永住権取得してみませんか?無料相談承ります」
というエージェントの広告を発見し、その翌日、早速、無料相談に、行ってきました。
実際、真剣に、永住権を取得する気持ちになっていたわけではありません。
ただ、どんなもんかな?と、興味があったのです。
エージェントのあるCityまで、バスで90分。
バスは、ParmBeach、WhaleBeach、Avalon、Newport、Narrabeen、MonaVale、DeeWhy….とSydney Northern Beach の主要サーフビーチを走っていきます。
太陽に照らされ、きらきらと輝く海を見ながら、こんな美しい場所で、ずっと生活+波乗りができたら、全く素晴らしいことだと思いました。
さすがにCityまで来ると、裸足で歩いている人がいないなーなどど関心しつつ(オージーは裸足が多い)、TownHallでバスを降り、GeorgeSt.のエージェントへ。この辺りは、アジア系(中国・韓国・インド・マレーシア・タイetc..)の若者が多いです。
シンガポールや香港っぽい、ざわざわした感じ。
対応してくれたエージェントのお姉さん(日本人)は、僕の永住権取得に関しての知識の無さに、あきれた様子。
「大丈夫なの?やる気あんのかしらこの人。」という、冷ややかな視線と、事務的な対応に、若干気まずさを感じつつも、一応ヒアリングしてきました。
永住権取得のためには、大きく分けて2つの方法があるようです。
@日本での職務経験を生かして「技術独立ビザ」を取得する
「オーストラリアが必要としている技術・能力を持っている人は、オーストラリアに受け入れよう」というのがオーストラリア政府(移民局)の基本方針のようです。
例えば、僕の場合は、ITエンジニア、e-Commerce Specialistとして、応募することになります。
Aオーストラリアで専門学校に通って「技術独立ビザ」を取得する
今回、このエージェントさんで勧めてくれたのは、こちらの方法です。(学校を学生に紹介して、その学校からコミッションをもらうのが、こうしたエージェントさんの商売なのです)オーストラリアにて、調理師、お菓子職人、美容師、空調技師、自動車整備士、植木職人。。。などの専門学校に2年間通い、卒業時に、試験に合格すれば、永住権を取得できるということです。
植木職人なんかが面白そうですね。盆栽(BONSAI)流行ってるらしいし。
しかし、残念ながら、植木職人は、現実的ではなさそうです。
なぜなら、2年間の在学中に、定められた時間以上の「職務経験」を積む必要があるからです。と、なると、仕事を見つけやすい職種を選ぶ必要があり、必然的に、仕事が探しやすい調理師コースが一番お勧めということでした。
学校の授業料は、2年間で2万ドル位だそうです。
いちおうパンフレットをもらってきました。
Aの方法は、2年間の時間とお金がかかります。
手っ取り早く、@の方法での可能性があるかを、別のエージェントに、メールで相談してみました。
結果はNG。
(日本での)SEとしての「職務経験年数」が、不足しているのが原因です。
詳しく書くと、学校での専攻によって、必要な「職務経験年数」が異なるということです。
ア)大学、専門学校で、IT専攻の場合:4年
イ)大学、専門学校で、IT専攻でない & IT系の授業が20%以上の場合:6年
ウ)大学、専門学校で、IT専攻でない & IT系の授業が20%未満の場合:8年
ということです。
僕の場合は、ウ)に該当するので、8年の経験が必要なわけですが、実際、前職での職務経験が、5年3ヶ月しかなかったので無理でーす。ということでした。
たぶん、普通に、日本で暮らすことになりそうです。
東京に住むのか、湘南に住むのか、千葉に住むのか、実家(静岡)に帰るのかは未定ですが。どこに住むにせよ、オーストラリア的なゆとりのある生活をしたいものです。
ヨットレースに出場
ヨットつくる現場で働いているだけあって、同僚は皆、セイリングできます。
オーストラリア・ニュージーランドでは、セイリング自体、とてもポピュラーです。
大なり、小なり、船を所有している人が多いです。
そういうことを知ると、日本より、心が豊かでゆとりある生活を皆、楽しんでいるという印象を受けます。
ヨ ッ ト ク ラ ブ
ということで、行ってきました。
同僚のランスとゼアンと僕の3人で、ビールを沢山買い込んで乗船です。
船は、トライマリンという、真ん中の船の左右に、細長い船がくっついているタイプです。
左右の船が、真ん中の船を支えるので、安定した構造というわけです。
船の名前は、「007」という名前でした。なぜか。
同 僚 の ラ ン ス と ゼ ア ン
僕 ら の ヨ ッ ト 〜 0 0 7 号
Newportのヨットクラブから、内海であるPittWaterを北上し、軽く外洋に出て、島を回ってくるコースです。日本で言ったら、逗子から江ノ島を回って帰ってくる感じです。
普通のセイリングかと思ってたのですが、なんとレースでした。合計7層の船で争いました。
初めは風が弱く、ゆるーい感じでスタート。
外洋に出てからは、風が強まり、結構なスピードが出てました。
僕は、言われるがままにロープを引っ張ったり、緩めたりして、帆の角度を調整してました。
風を読めるランスとゼアンは素晴らしい。
言 わ れ る が ま ま に ロ ー プ を 引 っ 張 っ て み る
ヨットが、向かい風に向かって斜めに進む原理は、未だによくわかってません。。。
スクリューのような人工的な動力が無いのに、風の力だけで、船が進むのは不思議と心地良い感覚です。サーフィンで板が滑り出すときの快感に、若干似てると思いました。"Wind is free."
ビールを飲みすぎ、最後は甲板で寝てしまいました。
飲 み す ぎ で 疲 れ る
結果は3位。スゴイじゃん。僕は何も役立ってないけど!
ヨットを買うのはとりあえず日本では難しいと思いますが、ウインドサーフィン位なら、やってみても面白いかも。
ヨ ッ ト は 楽 し い
シドニータワーのご飯はおいしいのか?
ヨットの現場の同僚、ゼアンにシドニータワーに連れてってもらいました。
でお食事。ビュッフェ形式。タンドリーチキンが旨く、Awesome、Awesomeと言いながら2人で食べてました。
シドニーに初めて来た人を連れて行くには、悪くない場所かも。
ニュージーランド人であるゼアンに、プレゼントとして、オールブラックスのシャツをもらいました。
サーフボードの作り方も教えてもらったし、とても良い友人なのです。
→更に、自分にはすばらしく可愛い妹がいるんだけど、良かったら、嫁にもらわないかい?とまで言われました。(笑)
ゼ ア ン と 記 念 写 真